花見の歴史~梅から桜へ

こんにちは。
2月も半ばになって春も近くなってきましたね。
そして春になると「花見」のシーズンですね。

このように桜が全開で咲くと綺麗で癒されますね。
もちろん花より団子でも良いかと思いますが。

ところで今ではお花見と言うと桜が定番ですね。
でもかっては桜では無かったのはご存知でしょうか?

お花見とは?その起源・由来・歴史とは?なぜ桜なのかより転載
お花見というものは奈良時代にはすでに存在していたものとされております。しかし、現在私たちが「お花見」と聞いて思い浮かべるように桜の鑑賞をするのではなくその時点では「梅」でした。

いわゆる「お花見」が桜を見ることを指すようになったのは平安時代のことです。
文献でいうと万葉集の時代までに詠まれた歌における「花」は梅で、古今和歌集以降のものに出てくる「花」は桜という風になります。実際、万葉集において梅を題材にした歌は110首、桜を題材にした歌は43首と梅が桜の倍以上あるのです。

これは、梅と桜の原産地の違いからくるもので、桜は日本古来の花ですが梅は奈良時代に中国から遣唐使によって伝わったものです。遣唐使が廃止されると共に「花」は桜のことを指すようになったのです。

奈良時代の梅を見るお花見というのは、花の美しさを愛でるというよりも神事としての意味合いが強く、厄払いのために行っていたのであまり楽しいものではなかったようです。

これが平安時代になり、花が「桜」のことを指すようになってから変わっていきます。
平安時代の歴史書「日本後紀」によれば、嵯峨天皇が812年に催した「花宴の節」というものが桜によるお花見の起源とされており、これが文献による桜のお花見の記述として最古のものになります。

嵯峨天皇は大の桜好きで、地主神社に毎年桜を献上させるほどお気に入りだったようです。

そして831年からはこの桜の花見が天皇の恒例行事となり、かの有名な「源氏物語」においても桜のお花見の描写があります。
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お花見は元々は「梅」を見るものだったようですね。
しかも神事として行われていたので今のどんちゃん騒ぎの花見とは一線を引いていたようですね。
そしてその流れを変えたのが「嵯峨天皇」です。
歴史の勉強的にはあまり騒がれない天皇ですね。
ですが平安初期に成立した歌物語「伊勢物語」においては「嵯峨天皇」は重要な人物です。

伊勢物語の時代より転載
嵯峨天皇は、業平から言えば、母方の伯父です。業平の父方の大叔父でもありますが、
桓武が外戚扱いとした百済王の関係で、嵯峨天皇は、業平の母方をよく知っていたでしょう。
『伊勢物語』には嵯峨天皇が出てこないのですが、
業平は、嵯峨天皇がいなければ、生まれてこなかったような両親のめぐり合わせですし、
嵯峨天皇が亡くなった結果、承和の変が起こって業平は父・阿保親王を喪うことになるので、
『伊勢物語』において、嵯峨天皇は陰の大物であり、背景の基調となるべき人物と言えます。
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お花見の歴史を変えた「嵯峨天皇」は平安時代の歴史を変えるキーパーソンであったようです。
当時、遣唐使として日本で仏教を広めた「空海」と「最澄」が唐に渡りました。
エリートであった「最澄」に対して「空海」は雑草的存在でした。
そして二人が唐から帰国後、最澄を信任していた桓武天皇が亡くなり、「嵯峨天皇」が即位しました。
すると、「嵯峨天皇」は、密教をマスターした「空海」に、仏教で国家を護る役目を任せることにした。
嵯峨天皇は兄の平城天皇との間で「薬子の変」という戦争をして勝利しました。
この戦争のときに「空海」が「嵯峨天皇」の勝利を祈って、実際に「嵯峨天皇」が勝利したために、その後、「空海」の名が高められることになったそうです。
またたく間にその名を天下に広めた「空海」は、エリート「最澄」に、ついに並びました。
要は「嵯峨天皇」がいなければ、「空海」は名声を得る事が無かったのかもしれません。

また「嵯峨天皇」は色々なエピソードがあります。
例えば日本人に多い名前である「太郎」
実はこの太郎と言う名前を初めて名付けたのは「嵯峨天皇」と言われています。

人名としての太郎より転載
日本において太郎という人名が登場したのは、嵯峨天皇が第一皇子の幼名に命名したのが初見とされる。以後、武士階級の名としても広まり、今日では一般的に命名される人名のひとつとなっている。また、太郎より派生して「健太郎」「耕太郎」など太郎の前に固有の文字を入れた人名や、太郎左衛門などのように太郎の後に異なる名を用いた人名が命名される例もある。
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それから月を直接見なかったエピソードもあります。

ナゼお月見を愛した嵯峨天皇は直接、月の姿を見なかったのかより転載
平安時代の貴族たちは月を直接見ることはしなかったようです。あくまでも池の水面に映る月を眺めるのが風流だそうです。これこそが雅(みやび)だとされていたのです。

特に天皇は、その身分ゆえ自分よりも上を見て月を見上げるということはなかったようです。神とされていた立場だったので、人前ではそのように振る舞うよりなかったのかも知れません。このような理由から天皇が月を楽しむためには、水は欠かせないものだったのです。
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これらの事により「嵯峨天皇」は大きな力を示していたようです。
そしてその影響力は今でもあるようです。
日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)より転載
しかも、先程も言いましたように、「渡辺綱」は「源融(みなもとのとおる)」の子孫ですから、つまりは「嵯峨天皇」の子孫ということになります。

ですから、こういうことが言えますね。

■嵯峨天皇 → 源融(息子) → 渡辺綱(子孫) → 渡辺健七(子孫) → 吉田健三(息子) → 吉田茂(養子) → 麻生太郎(孫)

このように、「麻生太郎」もまた「嵯峨天皇」とは実に深いゆかりがあるのです。

そもそも、「麻生太郎」の「太郎」という名前を最初に作り出したのも、実は「嵯峨天皇」なのです。
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歴史上の、また現代社会においても重要とされる人物の名前が出てきますね。
この様に「桜の花見文化」を創った人は現代社会にも大きな影響力を残しているのですね。

さて話は花見からそれました。
元々の花見の発祥である「梅の花見」は2月ならばもう可能ですね。
梅前線は2月上旬あたりに九州地方から梅の開花が始まり、だんだんと北上して、京都での開花は3月の初めくらい。
東京での開花は2月中旬~下旬くらいですね。

そして「桜の花見」は今年は例年通りの予想です。
さくら開花予想2018より転載
2018年のさくらは、平年並みの所が多くなりそうです。近年ではやや遅めの開花ということになります。ただし、九州や四国と北海道では平年より早めの開花となる地域もありそうです。前回の予想より、西日本でやや早まりました。

 今年の冬は、寒気が日本付近に流れ込みやすく、寒い日が続きました。このため、休眠打破は順調に進んでいて、花芽の成長は早まっていると考えられます。この影響は暖かい地域ほど強くなります。
 2月の前半までは非常に厳しい寒さとなりましたが、2月の後半になると寒気の影響が弱まり特に西日本で暖かい日が増えてきます。3月は寒の戻りもあり、平年よりは寒い日が多くなると考えられます。
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どうやら今年も桜の花見はいつものペースで楽しめそうですね。
どんちゃん騒ぎのお花見も良いですが、歴史的背景を考えて楽しむお花見はいかがですか?

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