マニュアル不要論?それとも+αで?

こんにちは。
皆さんは「マニュアル」の印象はどうですか?

世間では色々な「マニュアル」がありますね。
ですが世間では「マニュアル」の事をよく言わない傾向があります。
例えば「マニュアル人間」とか言われますよね。
そうです。意味合いとしては指示が無いと動かない人への例えとしてよく使われますね。

そのため「マニュアル」自体を世間では良く取らない傾向もいくつか見られています。

「マニュアル人間になるな!指示待ち人間になるな!主体性を持て!」
「自分で考えて行動しろ!」

世間ではこうやって「マニュアル人間」に対して攻撃的になりますよね。
特に上に立つ人間ほどその傾向は強いです。

何で思ったように動いてくれないのだろう?
そのジレンマの中で過ごしています。

でも部下の人には「自分で考えて行動しない・出来ない・したくない」理由があるのでは?

そもそも「マニュアル」の定義とは何でしょうか?
Wikipedia によると「マニュアル」は以下の様に記してあります。
マニュアルないし手引書(てびきしょ)とは、ある条件に対応する方法を知らない者(初心者)に対して示し、教えるために標準化・体系化して作られた文書である。
・・・・・・・・・・転載終了・・・・・・・・・
これを読めば答は簡単ですね。
「マニュアル人間」と呼ばれる人達は、その条件に対応をする方法を知らないからです。
「そんな事、自分で考えろ!」
「そんなに事細かく教えている暇なんか無いよ!」
これを読んだ上司の人はそう思っている事でしょう。

でも部下の人の気持ちになってみましょう。
「上司の気分によって答えが変わるから、Aにすれば良いかBにすれば良いのか分からないや」
「この間はAで誉められたのに、Aで怒られた事もあるし。。。。」
「この事を伝えても、また自分で考えろとか言われるんだろうな。。。。」
そうです。
上司のあなたの気持ちが分からないから、どのように対応すれば良いのか分からないのです。
ではどうすれば解決するかと言うと上司と部下が「心情一体」となれば良いのです。

「上司」が「部下」の気持ちを、「部下」が「上司」の気持ちをそれぞれ理解出来るようになれば、
大きな解決の糸口になります。

もちろんこれだけで本来の「マニュアル」が不要と言う訳ではありません。
やはり基本の「マニュアル」はあってしかるべきです。
しかしながらそれだけでは不十分です。
聖書にこんな言葉があります。
「愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。」
これを今の話に置き換えてみます。
「心情一体がなければ、マニュアルは騒がしいどら、やかましいシンバル」
マニュアルだけでは、マニュアルを作成して守る事が優先となり、その本質が不在となってしまうと言う事なのです。

「心情一体」となるためには相手に対する情報・知識が必要です。
相手がどのように考えて、どのように行動するのか?
それをわきまえて理解・それに対しての行動をする事によって「マニュアル」が真に生きたものと変わるのです。

そして「上司」は「部下」にとって「心情一体」になりたい!と思えるような理想的な人を目指して下さい。
そのようにしていけば、「マニュアル+α」な人間が増えていくと思います。

それでは皆様にとって幸がありますように!

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