白い馬の様に白い心を持とう

本日より2月ですね。
日本列島の多くも雪になる見込みで、白く覆われる可能性が高そうですね。
と言う事で今日のテーマは「白」です。

皆さんは「白」のイメージはどうでしょうか?
一般的には良い意味合いで使われているのではないでしょうか?

英語で「白」= 「white」 は「善意」、「純粋」などの意味を包含します。
日本語では無実・無罪を俗に白(シロ)といいます!
またこれらに近い意味として「好ましいもの」を指して「ホワイト○○」(例:ホワイトリスト、ホワイト企業)と言う事もあります。
スラングですが「黒歴史」(あまり公表したくない過去)に反して「白歴史」(もっと評価されるべき・知られるべき過去)と表現する事もあります。

概ね「白」と言う色に対しては良い意味合いで使われています。
かっての日本では喪服を「白の喪服」にしていた時代もありました。
「黒い喪服」が一般的になったのは明治以降なのですが、
諸説の一つによると日露戦争で死者が増え、白い喪服が間に合わなくなったという事なのです。
戦争が激化してくると、度重なる弔いの儀式も毎日のように行われるようになり、どうしても白喪服では汚れが目立ちます。そして黒なら汚れが目立たないからという理由から「黒い喪服」に切り替わっていったという説です。

確かに私たちは「汚れが目立たないから」と言う理由で黒を選ぶ事が多いです。
【参考記事】
傷や汚れが目立たない色は、やっぱり黒色の車で・・・

【Q&A】汚れが目立たない暗い色の方が毎日使いやすくないですか?

「黒」を格好良いからと言う理由で着たり、選んだりするのならばまだ良いのですが、汚れが目立たないと言う理由で「黒」を選ぶのは考え物です。
要は「黒」を選ぶと言う思考そのものは、
「私は汚れても洗濯しません」
「掃除も汚れが分からないからしなくて大丈夫!」
この様に宣言しているのに等しいのです。

確かに「白」は汚れやすいです。
だからこそ「掃除」や「洗濯」をしっかりとする必要性が出てくるのです。
その結果として、細かい事を気にするようになり、清潔を保つ習慣が保てるようになるのです。

これは心の中も一緒です。
「黒い点」=「悪い心」が点在している内には自分の罪に気が付きます。
でも全部が真っ黒になってしまったら、それこそ自分の罪に気が付かない様になってしまいます。

特に芸能界は黒い心が蔓延しています。
だからこそこの様に「不祥事」が続出しているのでしょう。
2018年 芸能人・有名人の不祥事・事件
不倫や麻薬もそうですが、おそらく自分たちの心が真っ黒になると罪に気が付かないのでしょう。
でも自分の心を真っ白にする事は非常に大変です。
黒や他の色の方が誘惑的に感じてしまい、結局誘惑に負けてしまう。。。。。

そんな人には感動する白の話を読んでみて下さい。

スーホの白い馬(あらすじ)
モンゴルの草原に、スーホという心の優しい少年が、おぱあさんと二人で住んでいました。羊を追って暮らしていましたが、ある春の夜、生まれたぱかりの白い子馬を見つけて持ち帰り、大事に育てました。
朝起きてから夜寝るまでスーホと白馬はいつも一緒です。 人間と馬というより、兄弟のようにそれはそれは大変仲の良いスーホと白馬に、まわりの人々もびっくりするほどでした。
やがて月日がたち、自い子馬は立派な、たくましい馬に成長しました。そんなある日、モンゴルの殿様の前で馬の競争が行われることになりました。モンゴルの各地から、脚に自身のある馬たちが集まって来ました。もちろん、スーホも白馬に乗って参加しました。
 「用意、ドン!!」家来の合図でスタートです。でもスーホの白馬にかなう馬はありません。スーホは見事に一着になり、殿様が約束したとおり、段様の娘、オノン様と結婚し素晴らしい商品をもらうはずだったのですが、あまりにも自馬の素晴らしさに目を奪われた殿様は、何かと理由をつけて、約束を破り、あげくのはてに、白馬をむりやりスーホか ら奪いとってしまったのです。
 白馬と別れたスーホは、毎日まいにち白馬のことを思い出しては、悲しみの涙にくれていました。友達も心配して、いろいろと元気づけるのですが、スーホの悲しみは深くなるぱかりです。カタカタと戸を鳴らす秋風にも、「白馬!白馬が帰って来たんだ」と表に飛び出して、さがし廻るスーホの姿に、おぱあさんも涙がとまりませんでした。
 その頃、スーホから奪った白馬を、殿様はお客様を呼んで自慢することにしました。しかし、スーホに会いたい気持ちは白馬とて同じです.白馬は殿様を振り落とし、家来を地面にたたきつけて、スーホに会いたくて逃げ出しました。
 おこった殿様は、弓矢で白馬を うってしまったのです。体に何本もの矢傷を受けながら、それでも白馬はスーホのゲル (家)に帰って来ました。「白馬!!逃げて来たんだね。ぼくに会うために、矢でうたれながら・・こんな遠くまで走って来てくれたんだね」・・・スーホに抱かれながら白馬は死んでしまいました。
 なげき、悲しむスーホに、白馬のたましいが現れて、「スーホ、元気を出して下さい、そして、わたしの尾やすじを使って楽器をつくって下さい。そうすれぱスーホがうたをう たう時は、私も一緒にうたえますし、スーホが休む時は、あなたのそぱにいられます」と話かけて消えていきました。
 スーホは、いわれた通りに白馬の体から楽器をつくりました.この楽器が現在でもモンゴルにつたわっている、馬頭琴という楽器です。
 やがて冬が去り、モンゴルの草原に再び、光り揮く春がやってきました。
・・・・・・・・・・・・・・転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・

この「白い馬」は姿も白だったのですが、心も白かったのでしょう。
外見と中身はギャップがある事もありますが、実際には一致する事が多いのです。
実際に「白い馬」は他の馬の色より稀ですが、世界中のさまざまな文化の神話において特別な意義をもって登場します。

白馬の伝説より転載
神話における記述
太古より、白馬は翼を持ち世界を渡ることが出来たり(ギリシャ神話のペガサス)、角を持つなど(ユニコーン)通常とは異なる性質を持つものとして神話化されていた。伝説的な例としては、七つの頭をもつウッチャイヒシュラヴァス八本の脚を持つスレイプニルなどが相当する。これらは時に群れや一頭で表現される。これらの白馬は、危険への警告である占いや予言でもあった。

白馬はその稀さあるいは特徴的なシンボルから、儀礼的な役割や敵対勢力を征服する場面において、英雄や神の姿の象徴とされた。ヘロドトスはアケメネス朝の宮廷においてクセルクセス1世に神聖な動物とみなすべきだと報告した。他の伝承においては、その逆に神への生贄として捧げられるともされている。

さらに他の伝承によると、白馬は守護聖人や世界の終わりにおける救世主(ヒンドゥー教の終末論(英語版)、キリスト教の終末論(英語版)、イスラム教の終末論(英語版)など)を運ぶとされ、太陽または、太陽の戦車(オセチア)などと関連付けられる。

いくつかの神話物語は初期から信じられてきたが、空想的や比喩的なものともされ、これらはいまでも続く伝統の原点として見ることが出来る。
・・・・・・・・・・・・・・転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・
宗教の差はあれど軒並み「白い馬」は神聖な存在として扱われています。
そして我々人間も「白い馬」の様に清く神聖な存在になれば、最近の芸能人が起こしている様な
不祥事は起こさない(=起こしたくない)様になっていくはずです。

日本列島、今晩は白く覆われそうですが、貴方の心も白い心で覆って下さいね。

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